《創作》小田急旧4000形 引退記念 復活「お買い物電車」
僚友2600形とおなじ大型車体を持ちながら、登場から引退まで愚直に地味な役割に徹した小田急の初代4000形。
最後に旧塗装をまとわせてもらえるわけでもなく、引退に際してさよなら運転を企画してもらえるわけでもなく、ある日突然気がついたら引退してしまっていた4000形。
そんな4000形がもし最後に労をねぎらう企画を施してもらえたならきっとこんなだっただろう、という創作です。
<ストーリー>
2600形の引退から約半年が経過した2004年12月、次の淘汰対象となっていた4000形もいよいよ営業運転から離脱することが決まった。
しかしさよなら運転が企画されているわけでもなく、見た目もいつもと同じアイボリーに青帯のまま。
2600形と違って誰からもとくに注目されるわけでもなくひっそりと消えていこうとしていた彼に「最後に一世一代のおめかしを」という声がどこからともなく上がった。
しかしこの形式自体があまりイベント列車等に縁がなく新旧の標準塗装以外に塗り替えられた例がほとんどない。それに旧塗装なら2600形が既にやってしまっている。
一体どうしたものかと頭を悩ませていたところ、
「お買い物電車の色はどうだろうか」
誰かが突然言い出した。
それは37年も前の1967年のこと、新宿の小田急百貨店本館が完成したのを記念して2600形2編成とともに4000形も3両編成1本が白地に赤と金色の帯が入る特別塗装に塗り替えられたもの。紺と黄色の電車ばかりだった中で明るいホワイトと派手な赤の組み合わせはひときわ目を引いた。
しかし2年近くこの色をまとった2600形に対し、4000形のほうは半年もしないうちにもとの紺と黄色に戻されてしまっていた。
しかしずっと地味な一生を送ってきた4000形がたった一度注目される存在となったのはこの時だけ。
「これしかない。」
関係者の思いはひとつになった。
早速担当者は小田急百貨店に連絡を取って了承をもらい、急いで最後まで残る6連と4連を1本ずつ突貫工事で塗り替えた。
塗り替えられた6連と4連の電車は慣れ親しんだ沿線に最後の挨拶をするかのように、残り少ない時間を新宿から小田原、江ノ島、唐木田へと縦横無尽に走り回る。
あの頃と違ってアイボリーやシルバーに青帯の明るい雰囲気の車両が中心とはなっていたが、やはり赤とゴールドの派手な色遣いは目をひく。
予告もなく突然現れた派手な色合いの電車に利用者は注目し「いったい、あの電車は何だ?」と誰もが話題にした。
しかし、この塗り替えについて小田急本社から外部に向けたアナウンスは一切なし。
お別れ記念のイベントを企画するにももはや時間が間に合わなかった。
そんな中で、4000形は最後のおめかしをサプライズとして披露することで、沿線に長年働かせてもらった感謝を伝えようとしていたのだろう。
それからしばらくした冬のある朝、4000形はいよいよ営業運転最後の日を迎えた。
最後の運用となったのはおなじ4000形どうし、おなじ「お買い物電車」色どうしの10連急行だった。
生まれて以来ずっと地味な役回りに徹し、愚直にその役割を務め上げた初代4000形。
最後の最後に一瞬だけの鮮やかなスポットライトを浴び、その役割を終えて静かに去っていったのであった。
最後に旧塗装をまとわせてもらえるわけでもなく、引退に際してさよなら運転を企画してもらえるわけでもなく、ある日突然気がついたら引退してしまっていた4000形。
そんな4000形がもし最後に労をねぎらう企画を施してもらえたならきっとこんなだっただろう、という創作です。
<ストーリー>
2600形の引退から約半年が経過した2004年12月、次の淘汰対象となっていた4000形もいよいよ営業運転から離脱することが決まった。
しかしさよなら運転が企画されているわけでもなく、見た目もいつもと同じアイボリーに青帯のまま。
2600形と違って誰からもとくに注目されるわけでもなくひっそりと消えていこうとしていた彼に「最後に一世一代のおめかしを」という声がどこからともなく上がった。
しかしこの形式自体があまりイベント列車等に縁がなく新旧の標準塗装以外に塗り替えられた例がほとんどない。それに旧塗装なら2600形が既にやってしまっている。
一体どうしたものかと頭を悩ませていたところ、
「お買い物電車の色はどうだろうか」
誰かが突然言い出した。
それは37年も前の1967年のこと、新宿の小田急百貨店本館が完成したのを記念して2600形2編成とともに4000形も3両編成1本が白地に赤と金色の帯が入る特別塗装に塗り替えられたもの。紺と黄色の電車ばかりだった中で明るいホワイトと派手な赤の組み合わせはひときわ目を引いた。
しかし2年近くこの色をまとった2600形に対し、4000形のほうは半年もしないうちにもとの紺と黄色に戻されてしまっていた。
しかしずっと地味な一生を送ってきた4000形がたった一度注目される存在となったのはこの時だけ。
「これしかない。」
関係者の思いはひとつになった。
早速担当者は小田急百貨店に連絡を取って了承をもらい、急いで最後まで残る6連と4連を1本ずつ突貫工事で塗り替えた。
塗り替えられた6連と4連の電車は慣れ親しんだ沿線に最後の挨拶をするかのように、残り少ない時間を新宿から小田原、江ノ島、唐木田へと縦横無尽に走り回る。
あの頃と違ってアイボリーやシルバーに青帯の明るい雰囲気の車両が中心とはなっていたが、やはり赤とゴールドの派手な色遣いは目をひく。
予告もなく突然現れた派手な色合いの電車に利用者は注目し「いったい、あの電車は何だ?」と誰もが話題にした。
しかし、この塗り替えについて小田急本社から外部に向けたアナウンスは一切なし。
お別れ記念のイベントを企画するにももはや時間が間に合わなかった。
そんな中で、4000形は最後のおめかしをサプライズとして披露することで、沿線に長年働かせてもらった感謝を伝えようとしていたのだろう。
それからしばらくした冬のある朝、4000形はいよいよ営業運転最後の日を迎えた。
最後の運用となったのはおなじ4000形どうし、おなじ「お買い物電車」色どうしの10連急行だった。
生まれて以来ずっと地味な役回りに徹し、愚直にその役割を務め上げた初代4000形。
最後の最後に一瞬だけの鮮やかなスポットライトを浴び、その役割を終えて静かに去っていったのであった。
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2017-03-24 10:29
Comments (2)
4000系引退ですか・・・。またひとつ味のある車両が消えていくのですね。最近の車両って個性がないような気がします。 昭和時代の私鉄車輌が懐かしく感じます。
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