【HD静鉄13】静清間を駆けたインターアーバン【クハ6形Ⅱ】
静岡電気鉄道100形→静岡鉄道モハ3形→クハ6形(Ⅱ):
1927年に100・101号の2両登場。
日本車輌本店製で、先に登場していた能勢電気軌道(現・能勢電鉄)31形(illust/48592455)とほぼ同型の車体を持つ。
ただしこちらは道路上からの乗降も考慮して出入口にはステップがあり、さらにそのすぐ下にはフォールディングステップが設けられていた。
また、ダブルポールであった点も異なる。無論軌間も静岡電鉄100形では1067mmとなっている。
しばらくしてシングルポール化され、戦時中に静鉄発足を迎えるも、米軍の静岡空襲で100号は焼失。
101号のみが残り、戦後は車体中央にパンタを乗せ、併用軌道ではポール、鉄道線上ではパンタを使い分けて走行していたようだ。
この頃に自動連結器を設置、また車体もツートンカラーに変更されたものと思われる。
1953年には長沼工場で鋼体化、1954年には形式称号改定でモハ3形モハ3号となるも、
1959年には電装を解かれてクハ6形(Ⅱ)を名乗ることになる。
2代目を示す符号をつけているが、これには理由があり、先代のクハ6形6号(Ⅰ)は、21形(illust/59777940)と同じ車体を持つ
電車であった。しかし、モハ22号の登場により編成替えを実施、クハ6号Ⅰはクハ21形に編入されてクハ22号となったため、
その空き番を利用してクハ6号Ⅱが誕生したというわけである。
なお、新造当初の台車はブリルタイプの日車C形だったが、のちにボールドウィン台車に履き替えている。
静鉄では、編成を組む際に極力「同じ番号の車両同士」で組ませていたため、モハ5形(illust/61014322)の6号と組んで運用された。
1966年に100形(illust/59737399)が投入されたことで、モハ6号ともども廃車・解体され、台車などの部品のみ転用されている。
1927年に100・101号の2両登場。
日本車輌本店製で、先に登場していた能勢電気軌道(現・能勢電鉄)31形(illust/48592455)とほぼ同型の車体を持つ。
ただしこちらは道路上からの乗降も考慮して出入口にはステップがあり、さらにそのすぐ下にはフォールディングステップが設けられていた。
また、ダブルポールであった点も異なる。無論軌間も静岡電鉄100形では1067mmとなっている。
しばらくしてシングルポール化され、戦時中に静鉄発足を迎えるも、米軍の静岡空襲で100号は焼失。
101号のみが残り、戦後は車体中央にパンタを乗せ、併用軌道ではポール、鉄道線上ではパンタを使い分けて走行していたようだ。
この頃に自動連結器を設置、また車体もツートンカラーに変更されたものと思われる。
1953年には長沼工場で鋼体化、1954年には形式称号改定でモハ3形モハ3号となるも、
1959年には電装を解かれてクハ6形(Ⅱ)を名乗ることになる。
2代目を示す符号をつけているが、これには理由があり、先代のクハ6形6号(Ⅰ)は、21形(illust/59777940)と同じ車体を持つ
電車であった。しかし、モハ22号の登場により編成替えを実施、クハ6号Ⅰはクハ21形に編入されてクハ22号となったため、
その空き番を利用してクハ6号Ⅱが誕生したというわけである。
なお、新造当初の台車はブリルタイプの日車C形だったが、のちにボールドウィン台車に履き替えている。
静鉄では、編成を組む際に極力「同じ番号の車両同士」で組ませていたため、モハ5形(illust/61014322)の6号と組んで運用された。
1966年に100形(illust/59737399)が投入されたことで、モハ6号ともども廃車・解体され、台車などの部品のみ転用されている。
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HD鉄道シリーズ【静鉄篇】
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2018-10-26 22:35
Comments (2)
また何てマニアックなところを!番号の変遷も面白いですね。 ・・・もっとも駿遠線や秋葉線はもちろん、本線までゲテモノだらけだった静鉄では「まとも」な方なのかもしれませんが(笑)。
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