沖縄第三十二軍高級参謀 八原博通大佐の憂鬱
八原博通は陸大を恩賜卒業、米国に留学してその巨大な国力と合理性を学んだエリート参謀将校。
昭和20年(1945年)4月1日から始まった沖縄戦において、同地を護る第32軍の高級参謀として徹底した持久作戦を提言。
米軍司令官バックナーを戦死させる程の大出血を強いた事から我が国よりも敵であった米軍側から「日本軍で最もスマートな指揮官」と公式戦史で記載される程の賞賛された。
しかし実際は大本営と現地軍の板挟みになっていた上司である軍司令の「小西郷」牛島満中将の優柔さや、近代戦に理解の浅い軍参謀の長勇中将の無理解もあって、彼の思惑から外れた戦いを強いられた。
しかも長が無謀な総反撃を行って32軍の戦力を大幅にすり減らした事で当初の防衛ラインでの戦闘が絶望的になってしまう。
彼は沖縄県知事島田叡の激烈な反対を黙殺して急遽沖縄南部・島尻地区の山岳地帯へ軍主力を後退させたが、それは同地に避難していた30万もの一般市民を戦禍に巻き込む事を意味した。
あまりに戦力が隔絶した相手との戦いであったとはいえ、結果的に多くの人命と引き換えに得たものは沖縄攻略を60日と踏んでいた米軍に対し、さらに約3週間程の時間を稼いだに過ぎない。
その後牛島や長ら多くの32軍上層部が自決したのに対し、八原は牛島から生きて本土へ戦いの様を伝える特命を受けた事から山野を彷徨った挙句捕虜となって生き延びたが、戦後そのことで多くの人々から非難されることとなる。
また戦後、彼と同じように戦争を参謀として生き延びた連中が己の軍功を過大に誇ったことで賞賛されて栄達したのに比べ、八原は一切自分を擁護するような事は口にせず、設立された警察予備隊(後の自衛隊)からの入隊要請も蹴ったことも、返って世論に反感を抱かせる要因となってしまう。
彼自身の戦後は極貧の生活の中にあり、それでも子供たちに高等教育を受けさせようと行商で生計を立てる慎ましい生活に徹した。
子供たちを無事に独立させた後の昭和56年(1981年)5月7日に78歳で死去したが、この葬儀の際「沖縄を見捨てた卑怯者」として葬式に参列した旧軍関係者は僅かに3人だったという。
参考 https://www.nicovideo.jp/watch/sm894416
昭和20年(1945年)4月1日から始まった沖縄戦において、同地を護る第32軍の高級参謀として徹底した持久作戦を提言。
米軍司令官バックナーを戦死させる程の大出血を強いた事から我が国よりも敵であった米軍側から「日本軍で最もスマートな指揮官」と公式戦史で記載される程の賞賛された。
しかし実際は大本営と現地軍の板挟みになっていた上司である軍司令の「小西郷」牛島満中将の優柔さや、近代戦に理解の浅い軍参謀の長勇中将の無理解もあって、彼の思惑から外れた戦いを強いられた。
しかも長が無謀な総反撃を行って32軍の戦力を大幅にすり減らした事で当初の防衛ラインでの戦闘が絶望的になってしまう。
彼は沖縄県知事島田叡の激烈な反対を黙殺して急遽沖縄南部・島尻地区の山岳地帯へ軍主力を後退させたが、それは同地に避難していた30万もの一般市民を戦禍に巻き込む事を意味した。
あまりに戦力が隔絶した相手との戦いであったとはいえ、結果的に多くの人命と引き換えに得たものは沖縄攻略を60日と踏んでいた米軍に対し、さらに約3週間程の時間を稼いだに過ぎない。
その後牛島や長ら多くの32軍上層部が自決したのに対し、八原は牛島から生きて本土へ戦いの様を伝える特命を受けた事から山野を彷徨った挙句捕虜となって生き延びたが、戦後そのことで多くの人々から非難されることとなる。
また戦後、彼と同じように戦争を参謀として生き延びた連中が己の軍功を過大に誇ったことで賞賛されて栄達したのに比べ、八原は一切自分を擁護するような事は口にせず、設立された警察予備隊(後の自衛隊)からの入隊要請も蹴ったことも、返って世論に反感を抱かせる要因となってしまう。
彼自身の戦後は極貧の生活の中にあり、それでも子供たちに高等教育を受けさせようと行商で生計を立てる慎ましい生活に徹した。
子供たちを無事に独立させた後の昭和56年(1981年)5月7日に78歳で死去したが、この葬儀の際「沖縄を見捨てた卑怯者」として葬式に参列した旧軍関係者は僅かに3人だったという。
参考 https://www.nicovideo.jp/watch/sm894416
第二次世界大戦
World War II
太平洋戦争
Pacific War
軍人
soldier
沖縄戦
okinawasenn
八原博通
帝国陸軍
teikokurikugunn
日本陸軍
nihonnrikugunn
軍事
military affairs
17
22
2005
2019-04-19 23:17
Comments (29)
率いる兵員が2~3万人くらいまでの状況だと、旧軍はかなり優秀な人が多い印象ですが、それ以上になるとマズいケースが多いように思いますねぇ…。(これは個人の能力というよりそういう大作戦を管理するノウハウがない?)
View Replies陸大に最年少で入学を果たし、かつ首席卒業したという凄い経歴の持ち主。しかし、陸軍幼年学校を出てなかったせいで、中央の軍人にはなれなかったらしい。今村おじさんは、陸幼を経ずに陸大を首席で卒業して、大佐の時には参謀本部の作戦課長だったのに何があったのだろうか?
View Repliesちなみに第9師団が抽出されるまでは八原氏は旧陸軍らしく機動戦による防衛を構想ており、長参謀長の方が司令部壕の重点的な整備を指示するなど、時系列ごとに各個人の指向・判断が変わっている点も示唆に富みますねぇ!
View Replies悪口の出所はどうも服部卓四郎あたりのような気がしてしょうがない
View Replies第9師団を引っこ抜かれて,あーもう滅茶苦茶だよ状態になるまで、長参謀長も善く彼の方針を理解していたのに…(悲哀) 「削岩機」のエピソードや八原氏の手記を読むと、また違った見方が出来て興味深いですねぇ。
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