【ワンドロ】忠即尽命 尽忠報国~第三十二軍参謀長・長勇中将
長勇(ちょう いさむ)は橋本欣五郎と共に統制派寄りの団体「桜会」を結成して三月事件や十月事件に関与した政治色の強い軍人
横紙破りで豪放磊落な性格であったが、時に猛烈に感情を高ぶらせることがあり、日中戦争・南京攻略戦の際に捕らえた捕虜を「ヤッチマエ」と処刑するように命じ、それを知った中支派遣軍司令官の松井石根大将にたしなめられたという逸話がある
沖縄戦においては軍参謀として、台湾やフィリピン向けの火砲を押さえ防御陣地や飛行場の建設を精力的に推し進める等、有能な軍政官・ネゴシエーターとして活躍した
しかし、長は有能な軍政官ではあったが有能な参謀とは言えなかった
極端に消耗を嫌う日本軍において、彼もまたそれを信条として高級参謀の八原博通大佐が構想した持久戦術を捨てて無謀な逆襲策を強行した結果、第32軍の戦力を何も得るところなく大幅に消耗させてしまう
その後ぼろ布の様な第32軍は多くの市民が避難していた沖縄南部・島尻地区において抗戦を続けたが、それはもはや「血にまみれた無駄な足掻き」以外の何物でもなかった
昭和20年(1945年)6月23日、彼は牛島満中将とともに摩文仁の司令部において割腹自決を遂げた
この際生き延びることになる八原高級参謀に対し「後学のため余の最後を見よ」との言葉を残したという
辞世の句は残されておらず、ただ彼が自決の際に着用した肌着には墨書きで 「忠即尽命 尽忠報国 長勇」 と書き残したのみである
横紙破りで豪放磊落な性格であったが、時に猛烈に感情を高ぶらせることがあり、日中戦争・南京攻略戦の際に捕らえた捕虜を「ヤッチマエ」と処刑するように命じ、それを知った中支派遣軍司令官の松井石根大将にたしなめられたという逸話がある
沖縄戦においては軍参謀として、台湾やフィリピン向けの火砲を押さえ防御陣地や飛行場の建設を精力的に推し進める等、有能な軍政官・ネゴシエーターとして活躍した
しかし、長は有能な軍政官ではあったが有能な参謀とは言えなかった
極端に消耗を嫌う日本軍において、彼もまたそれを信条として高級参謀の八原博通大佐が構想した持久戦術を捨てて無謀な逆襲策を強行した結果、第32軍の戦力を何も得るところなく大幅に消耗させてしまう
その後ぼろ布の様な第32軍は多くの市民が避難していた沖縄南部・島尻地区において抗戦を続けたが、それはもはや「血にまみれた無駄な足掻き」以外の何物でもなかった
昭和20年(1945年)6月23日、彼は牛島満中将とともに摩文仁の司令部において割腹自決を遂げた
この際生き延びることになる八原高級参謀に対し「後学のため余の最後を見よ」との言葉を残したという
辞世の句は残されておらず、ただ彼が自決の際に着用した肌着には墨書きで 「忠即尽命 尽忠報国 長勇」 と書き残したのみである
第二次世界大戦
World War II
太平洋戦争
Pacific War
軍人
soldier
帝国陸軍
teikokurikugunn
沖縄戦
okinawasenn
長勇
八紘一宇
hakkouichiu
軍事
military affairs
19
17
1439
2019-05-19 22:17
Comments (9)
調べてみたら張鼓峰事件の停戦交渉を担当していた人でした。
新しい絵を楽しみにしてました!嬉しいです‼︎ あまりこの人の良い評価は聞いたことがないんですけど、有能な軍政官という一面があったのですね。 戦後70年経った今様々な軍人が再評価されているので にわかミリオタには面白い限りです。
View Replies大本営、第十方面軍、連合艦隊、ひいては天皇陛下の御下問(事実上の攻勢指示)とあってはどうしようもないとも思うんだよなぁ。戦艦大和の沖縄特攻も、「一億玉砕の先駆けとして…」の字義が示す通り、32軍への政治的圧力としての側面もあるわけで…。
View Repliesどちらかと言えば威勢がよいだけの人という印象を受けていましたが、軍政下としては有能だったのですね。しかし、あの無謀な反撃の愚をフォローは出来ませんが。
View Replies消耗を嫌った故に消耗させてしまう。戦略家ではなく戦術家よりの人だったのかもしれないね。沖縄を血みどろの戦場にしてしまったのは日本最大の汚点だろうなぁ...
View Replies