キン肉マンゼブラという生き方2933
ゼブラが気になり、すこし調べた。
わたしはコモックスを手元に持っていないので、
それ以外の部分で調べました。
キン肉マンとは、姫路城でたたかっており、
姫路城のエピソードももっと、掘ることはできるだろう。
今回、バベルの塔が出てきているが、わたしあまり深堀り的な知識を
期待していない。
マンリキ、バイクマン、パルテノン
マンリキ対 ペンチマンというのはおもしろい試合ではなかろうか。
もし、ほんとに闘将ラーメンマンになってしまうなら、
たまには、マンリキ対 ペンチマンといった試合を読み切りで掲載して欲しいところだ。
さて、ゼブラだが、白と黒(影)という問題がある。
6倉客での演出は、シマウマキッド殺しの罪を、黒い自我だけがおわされた。
それを自覚したことで前に進んだ、らしい。
献身的だった馬を、金のために殺してしまった、というのが
ゼブラにとってのテーマだが、別の角度から考えれば、
たとえば、肉牛を育てている農家は、それを売って生きているのだから、
あれはあれでよかったのだ、と思い直すこともできるだろう。
六倉客編では、自分の陰の部分に、自分の罪を押し付けるのでなく、
自分にもそういった残虐性を持っているという自覚、という意味ではなかろうか。
白いゼブラは、善人をきどったかもしれないが、資本主義を考えれば
誰もが善人をきどっているし、そうしなければ食べていけないだろう。
鉄球を使うシーンは、わたしは良いと思うし、
六倉客編では、たとえば、間隔があいた間に、ボクシングを習得して、
鉄球なしでも、同等のパンチがうてるようになったとか、
そういった演出もあったかもしれない。
それをスグルが、肉のカーテンで受けていいし、マリキータマンが
肉のカーテンのようなものを出してもよかっただろう。
もうひとつ、素顔でたたかってもよかっただろう。
六鎗客編では、せっかくのチャンスであり、素顔でたたかうという
選択もあったかもしれない。
キン肉マンというマンガは、おそらく嶋田自身であり、
悪意や悪行の側面をもった作者が、高校を卒業して
成功し、ひとつひとつ改心するのと平行して、
マンガの中でも、例えば、世の中はカネじゃないとか、
友情の方が大事とか、そういったお涙頂戴的な
演出がスグルを通して行われる。そういった意味で、
アタルが提示した真友情はおもしろかったし、
アタルチームが人気なのは、既存の超人を寄せ集め的に
寄せ集めたからである。マンガのおもしろさは、わたしはここにあると
考えている。
例えば、アタルとスグルを抜いて
4チームでもう一度、王位争奪戦を行ったら
どんな結果になるだろうか?
次鋒行きます、のレオパルドンが、何十年もたって
ようやくキャラクターが立ったのだ。
募集超人をゼロ、というのは酷だから、
各チーム、一人までというルールはどうだろうか。
募集超人だから、先鋒に使うもよし、
副将あたりに温存するもよし。
マッスルショットの都合だったかもしれないが、
マンガとしては、募集超人を連発したのが
命取りだった。今ようやく、ビッグボディや、そのチームメイトたちの
トラウマが回収されたのだが、それをさせているのが
募集超人であり、これではおわりがないだろう。
ほんとに闘将ラーメンマンになるなら、
今度は、キャラクターをもっと大切にすべきである。
もう一度、考えてみよう。
わたしは実は、ゼブラ対マリキータマンを読んでおらず、
最近、バベルの塔がおもしろそうだなと思い、
戻ってきた読者だ。
ゼブラについて整理すると、自分の愛馬を手にかけている点である。
これはキャラクターとしておもしろいと思う。
王位争奪戦では、5人の新しい王子がいきなり登場して、
めんくらった人もいるかもしれない。
あれが、1980年代の後半だったろうから、
時間が経過して、ファンの方が咀嚼したかんがある。
マリキータ戦の資料をもっと見る必要はあるが、
整理すると、白い部分が、黒い部分に罪を押し付けていた
と出てくる。つまり、わたしはやっていない。そんなことは
やっていないというところだろうか。それが統合された、しかし
試合には負けたとある。マリキータは、アリステラと組んで
フルメタルコンビと試合しているから、それでいいのだが、
少々、腑に落ちない点もある。
愛馬を殺すというのは、わたしの意思でなかった。
わたしの悪魔性は、とくに子供の頃、
他者から植え付けられたのだ、といった解釈ならどうだろうか。
立場的には、性善説のようだが、そもそも悪人など存在せず、
子供の頃の環境などで、悪意に満ちた人物として成長し、形成されてしまう
と考えたらどうだろう。
だから、マリキータマンとの試合を考えれば、
マリキータマンがそれを気づかせる、
つまり、ゼブラよ、お前の意思で馬を殺したのではなかろう。
みたいな選択もあったにちがいない。
回想シーンで、不良グループのさそいをことわりきれなかったとか、
父がヤクザで、残酷な場面を子供の頃目にしてしまったとか、
それは、ゼブラがゼブラらしい事象を見つければいいだろう。
これは古典的な心理学の方法だが、それを通して、
黒いゼブラしまを残しつつ、人間として、この場合は
超人として魅力的なレスラーになるのではなかろうか。
ゼブラとマリポーサをたたかわしてみたら
おもしろいかもしれない。マリポーサの場合は、
盗人というキャラクターだが、やはり、
家庭環境が貧しかったとか、貧しい町に生まれてしまったとか、
治安の悪い町に育ったとか、自分では選択できなかった
出自に気づいて、大王として成功した可能性はある。
こういった大王たちが、政治を行えば、
どんな人民がついてくるだろうか。どんな事件がその国でおこる
だろうか。
スグルが、ゴールドマンとザ・マン戦の最後にリングにあがったと
読んだが(このころも、無料配信版を読んでなかったのだ)
スグルの場合、正直とかやさしさとか、正義の代表格であり、
ともすれば、できすぎであり、例えば、スグルが反則行為を試合で行えば、
キャラクターのゆれうごきが生じて、従来のファンはたぶん
帰ってくるだろう。
アルティメットタッグにおいて、マシンガンズが
見えないところで、反則を行っていたんだと語られたことがあったが、
その場合は、マンタロウとケビンが、正義を背負わされているから
今回とは異なるだろう。
スグルが罪をおかしていたとなれば、マリキータ戦のゼブラと同じで、
試合中に動揺して、動揺の中から相手に勝利するといった
展開があったかもしれない。
わたしはコモックスを手元に持っていないので、
それ以外の部分で調べました。
キン肉マンとは、姫路城でたたかっており、
姫路城のエピソードももっと、掘ることはできるだろう。
今回、バベルの塔が出てきているが、わたしあまり深堀り的な知識を
期待していない。
マンリキ、バイクマン、パルテノン
マンリキ対 ペンチマンというのはおもしろい試合ではなかろうか。
もし、ほんとに闘将ラーメンマンになってしまうなら、
たまには、マンリキ対 ペンチマンといった試合を読み切りで掲載して欲しいところだ。
さて、ゼブラだが、白と黒(影)という問題がある。
6倉客での演出は、シマウマキッド殺しの罪を、黒い自我だけがおわされた。
それを自覚したことで前に進んだ、らしい。
献身的だった馬を、金のために殺してしまった、というのが
ゼブラにとってのテーマだが、別の角度から考えれば、
たとえば、肉牛を育てている農家は、それを売って生きているのだから、
あれはあれでよかったのだ、と思い直すこともできるだろう。
六倉客編では、自分の陰の部分に、自分の罪を押し付けるのでなく、
自分にもそういった残虐性を持っているという自覚、という意味ではなかろうか。
白いゼブラは、善人をきどったかもしれないが、資本主義を考えれば
誰もが善人をきどっているし、そうしなければ食べていけないだろう。
鉄球を使うシーンは、わたしは良いと思うし、
六倉客編では、たとえば、間隔があいた間に、ボクシングを習得して、
鉄球なしでも、同等のパンチがうてるようになったとか、
そういった演出もあったかもしれない。
それをスグルが、肉のカーテンで受けていいし、マリキータマンが
肉のカーテンのようなものを出してもよかっただろう。
もうひとつ、素顔でたたかってもよかっただろう。
六鎗客編では、せっかくのチャンスであり、素顔でたたかうという
選択もあったかもしれない。
キン肉マンというマンガは、おそらく嶋田自身であり、
悪意や悪行の側面をもった作者が、高校を卒業して
成功し、ひとつひとつ改心するのと平行して、
マンガの中でも、例えば、世の中はカネじゃないとか、
友情の方が大事とか、そういったお涙頂戴的な
演出がスグルを通して行われる。そういった意味で、
アタルが提示した真友情はおもしろかったし、
アタルチームが人気なのは、既存の超人を寄せ集め的に
寄せ集めたからである。マンガのおもしろさは、わたしはここにあると
考えている。
例えば、アタルとスグルを抜いて
4チームでもう一度、王位争奪戦を行ったら
どんな結果になるだろうか?
次鋒行きます、のレオパルドンが、何十年もたって
ようやくキャラクターが立ったのだ。
募集超人をゼロ、というのは酷だから、
各チーム、一人までというルールはどうだろうか。
募集超人だから、先鋒に使うもよし、
副将あたりに温存するもよし。
マッスルショットの都合だったかもしれないが、
マンガとしては、募集超人を連発したのが
命取りだった。今ようやく、ビッグボディや、そのチームメイトたちの
トラウマが回収されたのだが、それをさせているのが
募集超人であり、これではおわりがないだろう。
ほんとに闘将ラーメンマンになるなら、
今度は、キャラクターをもっと大切にすべきである。
もう一度、考えてみよう。
わたしは実は、ゼブラ対マリキータマンを読んでおらず、
最近、バベルの塔がおもしろそうだなと思い、
戻ってきた読者だ。
ゼブラについて整理すると、自分の愛馬を手にかけている点である。
これはキャラクターとしておもしろいと思う。
王位争奪戦では、5人の新しい王子がいきなり登場して、
めんくらった人もいるかもしれない。
あれが、1980年代の後半だったろうから、
時間が経過して、ファンの方が咀嚼したかんがある。
マリキータ戦の資料をもっと見る必要はあるが、
整理すると、白い部分が、黒い部分に罪を押し付けていた
と出てくる。つまり、わたしはやっていない。そんなことは
やっていないというところだろうか。それが統合された、しかし
試合には負けたとある。マリキータは、アリステラと組んで
フルメタルコンビと試合しているから、それでいいのだが、
少々、腑に落ちない点もある。
愛馬を殺すというのは、わたしの意思でなかった。
わたしの悪魔性は、とくに子供の頃、
他者から植え付けられたのだ、といった解釈ならどうだろうか。
立場的には、性善説のようだが、そもそも悪人など存在せず、
子供の頃の環境などで、悪意に満ちた人物として成長し、形成されてしまう
と考えたらどうだろう。
だから、マリキータマンとの試合を考えれば、
マリキータマンがそれを気づかせる、
つまり、ゼブラよ、お前の意思で馬を殺したのではなかろう。
みたいな選択もあったにちがいない。
回想シーンで、不良グループのさそいをことわりきれなかったとか、
父がヤクザで、残酷な場面を子供の頃目にしてしまったとか、
それは、ゼブラがゼブラらしい事象を見つければいいだろう。
これは古典的な心理学の方法だが、それを通して、
黒いゼブラしまを残しつつ、人間として、この場合は
超人として魅力的なレスラーになるのではなかろうか。
ゼブラとマリポーサをたたかわしてみたら
おもしろいかもしれない。マリポーサの場合は、
盗人というキャラクターだが、やはり、
家庭環境が貧しかったとか、貧しい町に生まれてしまったとか、
治安の悪い町に育ったとか、自分では選択できなかった
出自に気づいて、大王として成功した可能性はある。
こういった大王たちが、政治を行えば、
どんな人民がついてくるだろうか。どんな事件がその国でおこる
だろうか。
スグルが、ゴールドマンとザ・マン戦の最後にリングにあがったと
読んだが(このころも、無料配信版を読んでなかったのだ)
スグルの場合、正直とかやさしさとか、正義の代表格であり、
ともすれば、できすぎであり、例えば、スグルが反則行為を試合で行えば、
キャラクターのゆれうごきが生じて、従来のファンはたぶん
帰ってくるだろう。
アルティメットタッグにおいて、マシンガンズが
見えないところで、反則を行っていたんだと語られたことがあったが、
その場合は、マンタロウとケビンが、正義を背負わされているから
今回とは異なるだろう。
スグルが罪をおかしていたとなれば、マリキータ戦のゼブラと同じで、
試合中に動揺して、動揺の中から相手に勝利するといった
展開があったかもしれない。
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2021-08-11 04:01
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