ヨシマサ

はしがき

太宰治を好きになった。
初めて『人間失格』を読んだのは19の頃だったと思う。
好きだった人を自殺で亡くして2年、
その間にも色々とあって、今よりもっと単純に純粋に、その事を抱えていた時期だったと思う。

とは言え、最初に人間失格を読んだ時に大きく衝撃を受けた訳ではなく、
時間をかけて、何度も読んで、色々と思うに至る訳だが、
平行して、自分の人生も紆余曲折あった。
迷走して迷走して、29になり、気がついたら何もかもが破綻して精神病院に入院していた。
その時に、もっとも強く、『人間失格』を意識したと今でも思う。
だから精神病院を退院した後、そんな自分が
『"文学少女"と死にたがりの道化』という、太宰治の『人間失格』をテーマに扱った小説に出会ったのは、ある意味では必然だったのかもしれない。
その本の主人公は、好きだった人を自殺で亡くした少年でもあった。

著者の太宰治は、自殺して逝ってしまった。
だけれど、『人間失格』の主人公、葉蔵は?
病院へ行ったきり、手記を残して消息は解らないのだ。
作中にある
「このひとは、まだ生きているのですか?」
という問いに
「さあ、それが、さっぱりわからないんです。」
とあるのだ。
太宰治は残念ながら"誰か"に出会う事が出来なかったんだろう。
だけど、葉蔵は"誰か"に出会う事が出来たかもしれないではないか、自分が"誰か"に出会えたように。

そして、『"文学少女"と死にたがりの道化』の主人公、心葉が、
一度は止めてしまった執筆を、"誰か"の助けで立直った様に、
自分もまた、"文学少女"に出会ったのだから、もう一度、筆をとってみようと思ったのだ。



2009/12/01 ヨシマサ

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