ドラゴン村、ファイヤー太郎の場合
そうだな。
久しぶりに悲しい話だね。
何一つ面白いことが無いっていうね。
特に書くことも無いけどな。
ドラゴンが偉い村なんだよね、でファイヤー太郎ってのは白ワインだと思うけど、家庭内暴力だな。
だけどそれはもう陰謀レベルの出来事で解決しようがない。
運動系の部活動が殺人に直結するような世界だよね。
で責任もクソも無い。法律で死んだ人間は蘇らない。
幸運なやつが騒いでるだけ。「お前おかしいよ」って。言葉があるから。何も解決しないのに言葉があるので、嘱託殺人とまでは言わないけど、それに加担するようなものっていうかね、まあ繋がるものだよね。で誰かがやらなければいけない。
バルザックはそれしか楽しみが無い。噂レベルだけどね。
それがファイヤー太郎の物語。
まあ言葉にならないようなタイプの不幸ということだね、だけどワインにはなるし、食べ物かもしれない。
まあ実際にさあ、どんなタイプの不幸だってね、どうせ誰もが死んで、何も残らないし、家庭自体が陰謀みたいなものなんだから、どうこう言うことではないんだけど。お祭りが好きな人がね、地域で威張ってる人ってことだよね、地域で威張ってるお祭りが好きな人が、騒いでると、でそれに参加する人がいるということだよね。でファイヤー太郎だけが除外されている。だけではないだろうけど、除外の濃度が高いということだね。まあそれで殺しくらいしか面白いことっていうか言葉が無いっていう。
奴隷として色んな所に行くんだけど、首になったり、良く解らない事情で外れたりするわけ。店が潰れたりとかね。で働くことも許されないわけ。それもファイヤー太郎のせいではないんだよ。ファイヤー太郎のような不幸というのを時代が必要としたということだな。まあ、しょうもないものだよね。
何回も書いてるような話だしどうでもいいけどたまに書かないとね。死体が説得力を高めるのと同じで、こういう不幸な人っていうのかな、もたまに入れないと何か足りないってなる。そうだと思う。汗とか血とかとセットでね涙みたいなものが存在するのと同じような理由だろうね。涙だよねそれがファイヤー太郎。社会の涙ファイヤー太郎だね。だっせえなぁ。その格好悪さ自体が望まれていたし作られたようなものだった。だけどもう要らないってなってね。ただダサいっていうことだけが残る。
それがファイヤー太郎の真の物語の始まりだよな。ただ「ダサい」ということだけが残ってからが本当のファイヤー太郎の物語だと言ってもいいでしょう。誰からも、何者からも相手にされず、記憶はほとんど意味が無く、人々との関係も無ければ繋がりようも無い、ダサいから全てが、これまでの全てがダサいという概念に集約する人物、それがファイヤー太郎なので、誰も寄り付かない。ちょっと前まではね、「面白いね」とか言われていたんだけど、ある境界を境に誰もそう言わなくなった。特に理由があるわけでもないんだよね、そういうものだということだよなファイヤー太郎の性質がそもそもそういうものだと。時間切れで全然面白く無くなって、ダサさが集約された人物になるのがファイヤー太郎。あの有名な映画でさ悪い成分を吸い取る黒人っていうのがいたと思うんだけど、それに近いよね。ファイヤー太郎はゴミ箱みたいな感じなわけ、で「お前、面白いよ」って言われてねゴミポイポイ放り込まれて、で「俺、面白いんだな」って思って調子に乗ってさ、だけど時間で終わる。「ダサい」という「評価」だけが残る。
まあこんな風に書くと珍しくも無い話のようだけど、濃度というのがあるからね。本当にダサい人物がファイヤー太郎だということだね。まあ悲しい話だけど、悲しい話として上がってくることもないっていうね。「ファイヤー太郎と関わるのが嫌」っていう判定が出るわけ。それこそゲーム的に出るんだよ「勝ちたければファイヤー太郎と関わるべからず」って。もう反省してるのにさ、そういう判定っていうかレッテルねぇ、そうそうレッテルだよレッテル、タグでもラベルでもない、レッテルが貼られているわけ。「勝ちたければファイヤー太郎と関わるべからず」ってね。その張り紙と暮らしているような感覚だよね。その辛さ。
悲しいっていうレベルじゃないよな。悲しいっていうのはあのドラゴンの口みたいなもののことでしょ。ファイヤー太郎はまあその悲しみから生まれたようなものというのかな。だから「お前は悲しみから生まれたらしいけど、それに何の意味が有るんだ?」っていうね。そういう看板っぽくもある。悲しいっていう何、その存在自体が否定されるわけだよね。何て言ったら良いんだろうな「ドラゴンじゃないから」かもね。「ドラゴンの悲しみから生まれたけどドラゴンじゃないし、お前は何なんだ、何の意味が有るんだ?」みたいなね。まあとにかくそういうしょうもない看板を埋め込まれている。社会に。そういう存在だと思う。
この蛆虫みたいなのも気持ち悪いしなぁ。ずっと頭の傍をフワフワしてるんだろうねこれ。気持ち悪いねぇ。多分さこの状況もさ、ファイヤー太郎が殺したわけじゃないのに罪を着せられているわけだよね。悪いものは全部ファイヤー太郎。罪を着せられている。積み立てNISAみたいに。罪を着せられるというか、免罪みたいな感じで遠くの知りもしない富裕層とかにファイヤー太郎の間抜けさを利用されてね。気持ち悪い話だよ本当。すっごい遠くの人が褒めてきたりね、だけどそんなの何の意味も無い。周囲とそういう遠くとが剝離していて、ファイヤー太郎は周囲の人間に相手にされたことが無いから、遠くばっか見るわけ、その性質自体を利用されてるんだけど別に治るものじゃないからさ、壊れるまでその状態なわけだよ。死ぬまでね。
で毎回書かされるわけだよ「僕はファイヤー太郎です」ってね何かにつけ書かされる。これが一番のお笑いだよね。「僕はファイヤー太郎という名前です」って、書かされるわけ。これがおかしなことだって思って無いんだよ、なぜならずっと初めからそうだったわけだから、疑問にも思わないんだよね。疑問に思わないで呪いとかじゃないと思ってる、犬が人間だと思うみたいに「僕はファイヤー太郎です」って何度も書かされるの気持ち悪いなとは思ってるんだけど、それがなぜなのかは分からない、アホだから。
まあ可哀そうっちゃあ可哀そうだけど勝つためには無視するしか無いわな。
人間社会って勝つのが大切だからねバルザックは借金することが重要だろうけど。人間は違うからね。
バルザックには「お前は本当に面白いぞ、積み立てNISAみたいに面白い」ってね。だけど「何積み立てNISAって?」ファイヤー太郎はそんなの分からないわけ。で周囲からは無視。犬が人間だと思うみたいに「僕はファイヤー太郎です」って他のみんなと同じ行為をしてると思ってるわけ「名前を書く」っていう共通のことをしてると思ってんだよ。
大きな勘違いだよね。
まあダジャレね、白ワインに赤ワインって混ぜて美味しいものなのかね。違いも解らないよね普通は。色くらいでさ。
もう字足りないからこの辺で終わりにするわ、また全然足りないな。
以上。
久しぶりに悲しい話だね。
何一つ面白いことが無いっていうね。
特に書くことも無いけどな。
ドラゴンが偉い村なんだよね、でファイヤー太郎ってのは白ワインだと思うけど、家庭内暴力だな。
だけどそれはもう陰謀レベルの出来事で解決しようがない。
運動系の部活動が殺人に直結するような世界だよね。
で責任もクソも無い。法律で死んだ人間は蘇らない。
幸運なやつが騒いでるだけ。「お前おかしいよ」って。言葉があるから。何も解決しないのに言葉があるので、嘱託殺人とまでは言わないけど、それに加担するようなものっていうかね、まあ繋がるものだよね。で誰かがやらなければいけない。
バルザックはそれしか楽しみが無い。噂レベルだけどね。
それがファイヤー太郎の物語。
まあ言葉にならないようなタイプの不幸ということだね、だけどワインにはなるし、食べ物かもしれない。
まあ実際にさあ、どんなタイプの不幸だってね、どうせ誰もが死んで、何も残らないし、家庭自体が陰謀みたいなものなんだから、どうこう言うことではないんだけど。お祭りが好きな人がね、地域で威張ってる人ってことだよね、地域で威張ってるお祭りが好きな人が、騒いでると、でそれに参加する人がいるということだよね。でファイヤー太郎だけが除外されている。だけではないだろうけど、除外の濃度が高いということだね。まあそれで殺しくらいしか面白いことっていうか言葉が無いっていう。
奴隷として色んな所に行くんだけど、首になったり、良く解らない事情で外れたりするわけ。店が潰れたりとかね。で働くことも許されないわけ。それもファイヤー太郎のせいではないんだよ。ファイヤー太郎のような不幸というのを時代が必要としたということだな。まあ、しょうもないものだよね。
何回も書いてるような話だしどうでもいいけどたまに書かないとね。死体が説得力を高めるのと同じで、こういう不幸な人っていうのかな、もたまに入れないと何か足りないってなる。そうだと思う。汗とか血とかとセットでね涙みたいなものが存在するのと同じような理由だろうね。涙だよねそれがファイヤー太郎。社会の涙ファイヤー太郎だね。だっせえなぁ。その格好悪さ自体が望まれていたし作られたようなものだった。だけどもう要らないってなってね。ただダサいっていうことだけが残る。
それがファイヤー太郎の真の物語の始まりだよな。ただ「ダサい」ということだけが残ってからが本当のファイヤー太郎の物語だと言ってもいいでしょう。誰からも、何者からも相手にされず、記憶はほとんど意味が無く、人々との関係も無ければ繋がりようも無い、ダサいから全てが、これまでの全てがダサいという概念に集約する人物、それがファイヤー太郎なので、誰も寄り付かない。ちょっと前まではね、「面白いね」とか言われていたんだけど、ある境界を境に誰もそう言わなくなった。特に理由があるわけでもないんだよね、そういうものだということだよなファイヤー太郎の性質がそもそもそういうものだと。時間切れで全然面白く無くなって、ダサさが集約された人物になるのがファイヤー太郎。あの有名な映画でさ悪い成分を吸い取る黒人っていうのがいたと思うんだけど、それに近いよね。ファイヤー太郎はゴミ箱みたいな感じなわけ、で「お前、面白いよ」って言われてねゴミポイポイ放り込まれて、で「俺、面白いんだな」って思って調子に乗ってさ、だけど時間で終わる。「ダサい」という「評価」だけが残る。
まあこんな風に書くと珍しくも無い話のようだけど、濃度というのがあるからね。本当にダサい人物がファイヤー太郎だということだね。まあ悲しい話だけど、悲しい話として上がってくることもないっていうね。「ファイヤー太郎と関わるのが嫌」っていう判定が出るわけ。それこそゲーム的に出るんだよ「勝ちたければファイヤー太郎と関わるべからず」って。もう反省してるのにさ、そういう判定っていうかレッテルねぇ、そうそうレッテルだよレッテル、タグでもラベルでもない、レッテルが貼られているわけ。「勝ちたければファイヤー太郎と関わるべからず」ってね。その張り紙と暮らしているような感覚だよね。その辛さ。
悲しいっていうレベルじゃないよな。悲しいっていうのはあのドラゴンの口みたいなもののことでしょ。ファイヤー太郎はまあその悲しみから生まれたようなものというのかな。だから「お前は悲しみから生まれたらしいけど、それに何の意味が有るんだ?」っていうね。そういう看板っぽくもある。悲しいっていう何、その存在自体が否定されるわけだよね。何て言ったら良いんだろうな「ドラゴンじゃないから」かもね。「ドラゴンの悲しみから生まれたけどドラゴンじゃないし、お前は何なんだ、何の意味が有るんだ?」みたいなね。まあとにかくそういうしょうもない看板を埋め込まれている。社会に。そういう存在だと思う。
この蛆虫みたいなのも気持ち悪いしなぁ。ずっと頭の傍をフワフワしてるんだろうねこれ。気持ち悪いねぇ。多分さこの状況もさ、ファイヤー太郎が殺したわけじゃないのに罪を着せられているわけだよね。悪いものは全部ファイヤー太郎。罪を着せられている。積み立てNISAみたいに。罪を着せられるというか、免罪みたいな感じで遠くの知りもしない富裕層とかにファイヤー太郎の間抜けさを利用されてね。気持ち悪い話だよ本当。すっごい遠くの人が褒めてきたりね、だけどそんなの何の意味も無い。周囲とそういう遠くとが剝離していて、ファイヤー太郎は周囲の人間に相手にされたことが無いから、遠くばっか見るわけ、その性質自体を利用されてるんだけど別に治るものじゃないからさ、壊れるまでその状態なわけだよ。死ぬまでね。
で毎回書かされるわけだよ「僕はファイヤー太郎です」ってね何かにつけ書かされる。これが一番のお笑いだよね。「僕はファイヤー太郎という名前です」って、書かされるわけ。これがおかしなことだって思って無いんだよ、なぜならずっと初めからそうだったわけだから、疑問にも思わないんだよね。疑問に思わないで呪いとかじゃないと思ってる、犬が人間だと思うみたいに「僕はファイヤー太郎です」って何度も書かされるの気持ち悪いなとは思ってるんだけど、それがなぜなのかは分からない、アホだから。
まあ可哀そうっちゃあ可哀そうだけど勝つためには無視するしか無いわな。
人間社会って勝つのが大切だからねバルザックは借金することが重要だろうけど。人間は違うからね。
バルザックには「お前は本当に面白いぞ、積み立てNISAみたいに面白い」ってね。だけど「何積み立てNISAって?」ファイヤー太郎はそんなの分からないわけ。で周囲からは無視。犬が人間だと思うみたいに「僕はファイヤー太郎です」って他のみんなと同じ行為をしてると思ってるわけ「名前を書く」っていう共通のことをしてると思ってんだよ。
大きな勘違いだよね。
まあダジャレね、白ワインに赤ワインって混ぜて美味しいものなのかね。違いも解らないよね普通は。色くらいでさ。
もう字足りないからこの辺で終わりにするわ、また全然足りないな。
以上。
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2023-11-17 16:53
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