【ソ連の学生服(1950年代)】
noteにて追加イラストを加えて公開してます。
https://note.com/loyal_marten3881/n/nda799c25b194
革命後の1918年、「ブルジョアの残滓と帝国の警察国家体制遺産との闘争」において学生服を廃止する法令が発行された。
その後、再び学生服が復活したのが、1948年の社会全体における社会的制服化時代においてであった。
戦後すぐのソ連国民は貧しく、一部の例外を除き多くの家庭では子供たちが学校に着て行けるような服を用意出来ないという問題があった。
このような状況の中、ソ連政府は社会主義が掲げる国民の平等を強調する意味でも学校における制服の導入が必要と感じていた。
さらに、戦争により荒んだ社会において厳格なる規律と道徳、集団の帰属意識を強調させる意味でも制服の採用が求められた。
しかし採用された制服は全ての点で革命前の学生服に似ていた。
また男女平等を謳う社会主義国家に関わらず、女子学生用の制服は性別的役割を強調するデザインで、明らかにメイド(女中)服に似ているのは、将来女性が担う職業や家庭での役割を意識させるための極めて保守的な思想から来ていた。
スターリン時代には、厳格な道徳が学校生活でも同様に求められた。
女学生の制服は、古典的な茶色のワンピースに黒色(平日用)又は白色(行事・祝日用)エプロン、髪留めのリボン飾りだった。また、リボン飾りもエプロンと同様に黒色(平日用)と白色(行事・祝日用)があった。髪飾りはこれ以外の色は認められなかった。
学生服の長さやその他の制服に関するパラメーターなど、これらまったく重要でない事柄は、教育機関により管理され、違反すると厳しく処罰された。
髪のお下げにいたるまで、清楚さを求められ、髪を染めることは言うに及ばす、「はやりの髪形」はスターリン時代を通してすべて厳しく禁じられていた。
学生服の着用は義務であり、その規則に従わない学生は罰せられた。
しかし事実として制服の普及はあくまでソ連の一部都市での出来事であり、先にも述べた通り、地方では制服どころか日常の服や下着、靴ですら満足に揃わない事があった。
そのためソ連における学生服の全国的な普及はまだ先のこととなる。
さらに言うと、都市部から両親の転勤で地方の学校に転入した生徒が制服で登校したらいじめられるような事態もあったようだ。
https://note.com/loyal_marten3881/n/nda799c25b194
革命後の1918年、「ブルジョアの残滓と帝国の警察国家体制遺産との闘争」において学生服を廃止する法令が発行された。
その後、再び学生服が復活したのが、1948年の社会全体における社会的制服化時代においてであった。
戦後すぐのソ連国民は貧しく、一部の例外を除き多くの家庭では子供たちが学校に着て行けるような服を用意出来ないという問題があった。
このような状況の中、ソ連政府は社会主義が掲げる国民の平等を強調する意味でも学校における制服の導入が必要と感じていた。
さらに、戦争により荒んだ社会において厳格なる規律と道徳、集団の帰属意識を強調させる意味でも制服の採用が求められた。
しかし採用された制服は全ての点で革命前の学生服に似ていた。
また男女平等を謳う社会主義国家に関わらず、女子学生用の制服は性別的役割を強調するデザインで、明らかにメイド(女中)服に似ているのは、将来女性が担う職業や家庭での役割を意識させるための極めて保守的な思想から来ていた。
スターリン時代には、厳格な道徳が学校生活でも同様に求められた。
女学生の制服は、古典的な茶色のワンピースに黒色(平日用)又は白色(行事・祝日用)エプロン、髪留めのリボン飾りだった。また、リボン飾りもエプロンと同様に黒色(平日用)と白色(行事・祝日用)があった。髪飾りはこれ以外の色は認められなかった。
学生服の長さやその他の制服に関するパラメーターなど、これらまったく重要でない事柄は、教育機関により管理され、違反すると厳しく処罰された。
髪のお下げにいたるまで、清楚さを求められ、髪を染めることは言うに及ばす、「はやりの髪形」はスターリン時代を通してすべて厳しく禁じられていた。
学生服の着用は義務であり、その規則に従わない学生は罰せられた。
しかし事実として制服の普及はあくまでソ連の一部都市での出来事であり、先にも述べた通り、地方では制服どころか日常の服や下着、靴ですら満足に揃わない事があった。
そのためソ連における学生服の全国的な普及はまだ先のこととなる。
さらに言うと、都市部から両親の転勤で地方の学校に転入した生徒が制服で登校したらいじめられるような事態もあったようだ。
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2024-01-21 21:31
Comments (2)
独ソ戦で2000万人以上の厖大な死者を出しているので、男女平等を建前とはしつつも、人口回復のためまずは女子学生に出産育児等の家庭的役割分担を意識させる意味での制服デザインなのでしょうね。
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