【HD阪急38】阪急最後の小型車【500形Ⅱ】
阪神急行電鉄→京阪神急行電鉄500形(Ⅱ):
1938年より建造が開始された電車である。もともと宝塚線では1形(illust/47647252)や51形(illust/48342693)などといった木造車や
300形(illust/48113246)・320形などといった車輌が活躍していたが、折しもこの頃は宅地開発で乗客が増えていた頃であった。
この輸送力増強の一環として登場したのが500形だ。同形式を名乗る電車は2代目だが、
これは300形が初代500形を名乗っていたためである。
車体は920系(illust/47541194)を15m級に短縮したスタイルながら、溶接工法の多用でリベットのないすっきりした車体となり、
また神戸線への入線も想定されていたことから、各ドア下のステップは引き出せる構造となっていた。
全31両が製造されたが、各車輌ともに82kW級モーターを2台しか搭載していなかったために出力不足が目立ち、
4基モーター車の320形に比べると加速が鈍く、牛のような歩みであったという。
また戦時中にかけての生産であったために530号は端数となってしまい、連結相手がなかったことから戦前・戦中は380形と、
戦後は550形564号と編成を組んで運用されていた。その後530号は528・529号との3両編成で運用されることとなる。
宝塚線の規格改良が始まると、中形車610系(illust/48364032)に台車とモーターを譲り、
610系の登場で余剰となった51形の台車に履き替えている。その際、モーター出力そのものは48kWとスペックダウンしたものの、
個数が4基に増えたために総合出力では向上し、320形と同等の性能を獲得し、併結も可能となった。
その後は長らく編成替えを繰り返しながら宝塚線、箕面線、今津線を中心に走り続けたが、
小型車であることから、昇圧の対象外ということで1967年までに全廃となった。
廃車後、8両が広島電鉄に渡り1070形に、残る全車は能勢電気軌道(→能勢電鉄)に貸与の後正式に譲渡された。
しかし広電では宮島線列車の低床車化で1988年までに、能勢電でも車輌の大型化によって1986年までにその役目を終えている。
1938年より建造が開始された電車である。もともと宝塚線では1形(illust/47647252)や51形(illust/48342693)などといった木造車や
300形(illust/48113246)・320形などといった車輌が活躍していたが、折しもこの頃は宅地開発で乗客が増えていた頃であった。
この輸送力増強の一環として登場したのが500形だ。同形式を名乗る電車は2代目だが、
これは300形が初代500形を名乗っていたためである。
車体は920系(illust/47541194)を15m級に短縮したスタイルながら、溶接工法の多用でリベットのないすっきりした車体となり、
また神戸線への入線も想定されていたことから、各ドア下のステップは引き出せる構造となっていた。
全31両が製造されたが、各車輌ともに82kW級モーターを2台しか搭載していなかったために出力不足が目立ち、
4基モーター車の320形に比べると加速が鈍く、牛のような歩みであったという。
また戦時中にかけての生産であったために530号は端数となってしまい、連結相手がなかったことから戦前・戦中は380形と、
戦後は550形564号と編成を組んで運用されていた。その後530号は528・529号との3両編成で運用されることとなる。
宝塚線の規格改良が始まると、中形車610系(illust/48364032)に台車とモーターを譲り、
610系の登場で余剰となった51形の台車に履き替えている。その際、モーター出力そのものは48kWとスペックダウンしたものの、
個数が4基に増えたために総合出力では向上し、320形と同等の性能を獲得し、併結も可能となった。
その後は長らく編成替えを繰り返しながら宝塚線、箕面線、今津線を中心に走り続けたが、
小型車であることから、昇圧の対象外ということで1967年までに全廃となった。
廃車後、8両が広島電鉄に渡り1070形に、残る全車は能勢電気軌道(→能勢電鉄)に貸与の後正式に譲渡された。
しかし広電では宮島線列車の低床車化で1988年までに、能勢電でも車輌の大型化によって1986年までにその役目を終えている。
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2015-03-10 22:46
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