【HD南海30】南海本線最後の吊り掛け車【1521系】
南海電気鉄道1521系:
1959年より製造された大型通勤電車。20m級で片側4ドアのスタイルは国電63系割当車であった1501系を引き継いでいる。
それもそのはずで、電装品はその1501系から取り外したモーターを流用している。
車体は帝國車輌・台車は汽車会社KS-60(M)およびKS-61(T)。当初はダークグリーンにオレンジの帯を巻いての登場であった。
形式はモハ1521形1521~1528号ならびにサハ3801形(Ⅱ)3801~3808号。
モハ+サハ+モハの3両編成のほか、変則で2両から4両までを組成した。
また、同じ車体に2001形(illust/50287367)のモーターや電装品を組み合わせて1961年に製造されたのが2051系である。
こちらはモハ2051形のみ新形式で4両起こし、サハは1521系と共通のものを2両組み込んで4両編成とした。
ここで初めて塗装が上半分オリエンタルグリーン、下半分ダークグリーンのツートンカラーとなり、
このさわやかな塗装は南海一般車の標準塗装として定着することになった。
これらは1973年の南海本線昇圧後も使用された。他の吊り掛け電車各形式は貴志川線を除きこの時期に全廃されているので、
いわば1521系は昇圧後も生き残った唯一の吊り掛け電車だったのである。
これに際し、モーターと制御器を交換、サハ3801形は和歌山市側に運転台を取り付けてクハ3901形3901~3908号となった。
またモハ1521形の偶数車とモハ2052号は両運転台化(モハ2052号は1530号に改番)、
あわせてモハ2054号は電装解除を行いクハ3909号となった。
結果、モハ1521形は片運転台車が6両、両運転台車が5両、クハ3900形は9両という内訳に変わった。
改造後は天王寺線・高師浜線・加太線・多奈川線・和歌山港線で活躍したが、
このうち天王寺線の天下茶屋~今池町間廃止によって1524号と1526号は専用車となった。
離れ小島の状態になった天王寺線で細々と活躍したこの2両も、同線の廃止とともに和歌山港線に移っている。
1985年からは3編成が高野線の汐見橋~岸里玉出間(汐見橋線)で活躍した。
しかし、この年代になってくるといよいよ寄る年波には勝てず、1985年から順次廃車が開始され、
1990年代には和歌山港線に10両が残るのみとなった。これらも1995年に2200系(illust/50155997)の入線で全廃となった。
同じ年には貴志川線の1201形(illust/50329669)も
2270系に置き換えられて全廃となっており、これで南海から吊り掛け電車は消滅した。
廃車後、モハ1522~1525・1527号およびクハ3902・3904号は弘南鉄道に渡ったが、
雪国での酷使と部品確保が困難だったこともあって2008年までに全廃されている。
なお、本形式のスタイルは6000系(illust/50220059)や7000系(illust/50388847)などに影響を及ぼしている。
1959年より製造された大型通勤電車。20m級で片側4ドアのスタイルは国電63系割当車であった1501系を引き継いでいる。
それもそのはずで、電装品はその1501系から取り外したモーターを流用している。
車体は帝國車輌・台車は汽車会社KS-60(M)およびKS-61(T)。当初はダークグリーンにオレンジの帯を巻いての登場であった。
形式はモハ1521形1521~1528号ならびにサハ3801形(Ⅱ)3801~3808号。
モハ+サハ+モハの3両編成のほか、変則で2両から4両までを組成した。
また、同じ車体に2001形(illust/50287367)のモーターや電装品を組み合わせて1961年に製造されたのが2051系である。
こちらはモハ2051形のみ新形式で4両起こし、サハは1521系と共通のものを2両組み込んで4両編成とした。
ここで初めて塗装が上半分オリエンタルグリーン、下半分ダークグリーンのツートンカラーとなり、
このさわやかな塗装は南海一般車の標準塗装として定着することになった。
これらは1973年の南海本線昇圧後も使用された。他の吊り掛け電車各形式は貴志川線を除きこの時期に全廃されているので、
いわば1521系は昇圧後も生き残った唯一の吊り掛け電車だったのである。
これに際し、モーターと制御器を交換、サハ3801形は和歌山市側に運転台を取り付けてクハ3901形3901~3908号となった。
またモハ1521形の偶数車とモハ2052号は両運転台化(モハ2052号は1530号に改番)、
あわせてモハ2054号は電装解除を行いクハ3909号となった。
結果、モハ1521形は片運転台車が6両、両運転台車が5両、クハ3900形は9両という内訳に変わった。
改造後は天王寺線・高師浜線・加太線・多奈川線・和歌山港線で活躍したが、
このうち天王寺線の天下茶屋~今池町間廃止によって1524号と1526号は専用車となった。
離れ小島の状態になった天王寺線で細々と活躍したこの2両も、同線の廃止とともに和歌山港線に移っている。
1985年からは3編成が高野線の汐見橋~岸里玉出間(汐見橋線)で活躍した。
しかし、この年代になってくるといよいよ寄る年波には勝てず、1985年から順次廃車が開始され、
1990年代には和歌山港線に10両が残るのみとなった。これらも1995年に2200系(illust/50155997)の入線で全廃となった。
同じ年には貴志川線の1201形(illust/50329669)も
2270系に置き換えられて全廃となっており、これで南海から吊り掛け電車は消滅した。
廃車後、モハ1522~1525・1527号およびクハ3902・3904号は弘南鉄道に渡ったが、
雪国での酷使と部品確保が困難だったこともあって2008年までに全廃されている。
なお、本形式のスタイルは6000系(illust/50220059)や7000系(illust/50388847)などに影響を及ぼしている。
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HD鉄道シリーズ【南海篇】
南海本線
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1521系
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2015-06-16 20:36
Comments (5)
天下茶屋工場と言えば昔は車両メーカーでもあったんですよね。 1201とか2001にも天下茶屋製の車両があったくらいですし。
私は南海天下茶屋に20年住んでました。天下茶屋工場を覗いて育ちました。いやあ、嬉しいです(^^
で、これは東武あたりにも言えることなんですが、 なまじ歴史が古いだけに車輌の変遷がかなり雑多なので それが面白いのです!です!
どういうわけか南海っていうのは惹かれるものがあります。 関東人なのになぜか惹かれちゃうんですね。あと阪急。
南海利用者です。懐かしいモデルですよね。関東の方ですよね?それなのにまた南海をwwwなんか嬉しくなるwww