【HD南海15】難解、もとい南海の中形車【1201系】
南海鉄道→南海電気鉄道1201・1551系:
1933年に登場したモハ133形を嚆矢とし、総勢72両が製造されたのが1201系である。
1201系と一口に言うが、実はこの番号はあくまで便宜上であり、実態は個々の形式ごとに違った番号を与えられているのだ。
というの、モハ133形は程なくしてモーターの出力別に改番が行われた結果、GE製105馬力(85kW)モーター装備車が「モハ1051形」、
対してWH製100馬力(74.6kW)モーター装備が「モハ1021形」と呼ばれるなど、いきなり複雑な番号になってしまっている。
さて表題の1201系というのは、三菱電機および川崎車輌製の125馬力(93.3kW)モーターを装備した車に対してつけられた
「モハ1201形」を代表形式としているからで、先述のモハ1021・1051形もあとから編入されたために製造時期と番号が一致しない事態となってしまった。
加えて1947年までと製造が長期に及んだことも、形態と番号、製造時期が一致しないというまさに「難解電車」となってしまった一因であった。
さらに一部は国鉄制式品であるMT40形モーター(151.5馬力/113.6kW、ただしDC600V時)に換装しているため
これらの高出力改造車は「モハ1551形」と呼ばれることになってしまった。
この複雑怪奇ぶりは何も電動車に限ったことではない。
同系列の付随車はクハ1901形とされていたものの、一部は2001形(illust/50287367)との併結に対応させるべく、
急遽、搭載機器を変更したため「クハ2851形」として竣工しているし、
かと思えば電7系(illust/50303507)のうちの半鋼体化復旧車4両を編入して「クハ1811形」にしていたりと、もはや混沌の域である。
そのため表題では「1201系・1551系」としているが、これは便宜上やや強引にまとめた結果であることをご容赦願いたい。
戦前は南海線普通車、および高野線平坦区間用として使用されたが、戦後になると
モハ1556・1557号とクハ1904号が転換クロスシートを整備され、四国連絡急行「なると」に抜擢された。
この3両編成は上半分をアイボリー、下半分をブルーに塗装されていたという(南海電鉄公式では「白灰色とふじ色」とされている)。
1970年以降は国鉄紀勢本線に直通する南紀直通列車の牽引役を2001形に代わって1551形が担当したこともあったが、
昇圧を間近に控えた1971年から廃車が進み、モハ1201形10両とサハ1901形2両が水間鉄道に、
モハ1201形16両が京福電気鉄道福井支社(現・えちぜん鉄道)に譲渡された。
しかしこれらの譲渡車輌も京福電鉄では1985年までに、水間鉄道でも1990年までに全廃されている。
だが、この時点でも南海にはまだ10両(モハ1201~1204・1210・1213・1217・1218・1234・1241号)が残存しており、
これらは南海の路線の中でも離れ小島的な存在だった貴志川線に配置されていた。
ところが1201形は当時すでに時代遅れとなっていた吊り掛け車であり、しかも冷房もなく、
このままでは貴志川線の乗客は離れる一方だった。
結局、22000系を改造した冷房車2270系(illust/50155997)を入線させることになり、ついに1995年をもって完全に形式消滅した。
モハ133形時代から数えること、実に62年もの間走り続けていたのである。
1933年に登場したモハ133形を嚆矢とし、総勢72両が製造されたのが1201系である。
1201系と一口に言うが、実はこの番号はあくまで便宜上であり、実態は個々の形式ごとに違った番号を与えられているのだ。
というの、モハ133形は程なくしてモーターの出力別に改番が行われた結果、GE製105馬力(85kW)モーター装備車が「モハ1051形」、
対してWH製100馬力(74.6kW)モーター装備が「モハ1021形」と呼ばれるなど、いきなり複雑な番号になってしまっている。
さて表題の1201系というのは、三菱電機および川崎車輌製の125馬力(93.3kW)モーターを装備した車に対してつけられた
「モハ1201形」を代表形式としているからで、先述のモハ1021・1051形もあとから編入されたために製造時期と番号が一致しない事態となってしまった。
加えて1947年までと製造が長期に及んだことも、形態と番号、製造時期が一致しないというまさに「難解電車」となってしまった一因であった。
さらに一部は国鉄制式品であるMT40形モーター(151.5馬力/113.6kW、ただしDC600V時)に換装しているため
これらの高出力改造車は「モハ1551形」と呼ばれることになってしまった。
この複雑怪奇ぶりは何も電動車に限ったことではない。
同系列の付随車はクハ1901形とされていたものの、一部は2001形(illust/50287367)との併結に対応させるべく、
急遽、搭載機器を変更したため「クハ2851形」として竣工しているし、
かと思えば電7系(illust/50303507)のうちの半鋼体化復旧車4両を編入して「クハ1811形」にしていたりと、もはや混沌の域である。
そのため表題では「1201系・1551系」としているが、これは便宜上やや強引にまとめた結果であることをご容赦願いたい。
戦前は南海線普通車、および高野線平坦区間用として使用されたが、戦後になると
モハ1556・1557号とクハ1904号が転換クロスシートを整備され、四国連絡急行「なると」に抜擢された。
この3両編成は上半分をアイボリー、下半分をブルーに塗装されていたという(南海電鉄公式では「白灰色とふじ色」とされている)。
1970年以降は国鉄紀勢本線に直通する南紀直通列車の牽引役を2001形に代わって1551形が担当したこともあったが、
昇圧を間近に控えた1971年から廃車が進み、モハ1201形10両とサハ1901形2両が水間鉄道に、
モハ1201形16両が京福電気鉄道福井支社(現・えちぜん鉄道)に譲渡された。
しかしこれらの譲渡車輌も京福電鉄では1985年までに、水間鉄道でも1990年までに全廃されている。
だが、この時点でも南海にはまだ10両(モハ1201~1204・1210・1213・1217・1218・1234・1241号)が残存しており、
これらは南海の路線の中でも離れ小島的な存在だった貴志川線に配置されていた。
ところが1201形は当時すでに時代遅れとなっていた吊り掛け車であり、しかも冷房もなく、
このままでは貴志川線の乗客は離れる一方だった。
結局、22000系を改造した冷房車2270系(illust/50155997)を入線させることになり、ついに1995年をもって完全に形式消滅した。
モハ133形時代から数えること、実に62年もの間走り続けていたのである。
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HD鉄道シリーズ【南海篇】
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2015-05-11 21:47
Comments (2)
あの頃の野上電鉄はいろいろ末期でしたからね…
水間からあの野上電鉄に譲渡された車もありましたね。結局重量オーバーで入線できなかったのですが。