【HD南海31】南海のロクサン【1501形】
近畿日本鉄道→南海電気鉄道1501形:
1947年に入線した大型4ドア通勤電車。
20m級の車両自体は、戦前に2001形(illust/50287367)が登場していたが、
本形式は完全に通勤輸送用に特化した設計となっている点が異なる。
それもそのはずで、もともとは国鉄のモハ63形となる予定だった車両を戦後の混乱期に割り当てたもので、
同じ理由で東急小田原線(→小田急)1800形(illust/42548831)や、東武6300(→7300)系などが登場している。
これらの会社ではこの63形割当車を契機に車両の大型化を推進したが、南海ではすでに2001形がいたため、
これに当てはまるとは限らないのであった。
さて、この電車は南海電気鉄道(←高野山電気鉄道)が近鉄から南海本線と高野線を譲り受けて事実上分離してから
最初に登場した電車でもある。というのも、奇しくもこの電車の営業開始と同日に近鉄から南海が分離したためで、
そのため前面部分には「羽車」の社紋があたかも戦国武将の兜飾りのごとく堂々と配され、ある種独特のムードをかもし出していた。
当初は難波向きがモハ1501~1510号、和歌山市向きがモハ1511~1520号と呼ばれ、
2001形のクハ2801・2821形や旧電7系のクハ1801形(illust/50303507)などを連結して運用された。
このほか1200形(illust/50329669)と同じ車体で2001形のトレーラーであったクハ2851形も併結相手であった。
1951年には桜木町事故を受けて難燃化改造と貫通路の整備などを実施、さらに1959年からは
モハ1513~1520号を電装解除してクハ1951形クハ1951~1958号とし、取り外したモーターは
モハ1521形(illust/50931131)に転用された。1521形もまた20m超クラスの4ドア車であるが、
これも1501形の影響を受けた結果といえよう。
なお、このときモハ1509~1512号については前面が貫通化された。
もっとも、1501形はもともとが「国電」であるため、南海の中にあってはきわめて異端な存在であり、
大した修繕も廃車間際の1966年まで行われず、しかもそれも全車には及ばないまま1968年までに全廃となった。
由来が由来だけに不遇の人生をたどった電車であるが、その後の南海の大型一般車両が4ドアで製造される
きっかけを作ったという点では大きな足跡を残した。
さらにこの電車が取り付けていた国鉄制式品のモーターであるMT40は、戦後南海の標準モーターとして、
モハ1201形を高出力化したモハ1551形などに使用されたほか、1973年の昇圧時には2051系の1521系化や、
機関車ED5201形の改造に使用されるなど、これまた多大な影響を及ぼしているのである。
余談ながら、入線した当時はまだ近鉄であったため、近鉄にとっても最初の4ドア通勤電車ということになる。
1947年に入線した大型4ドア通勤電車。
20m級の車両自体は、戦前に2001形(illust/50287367)が登場していたが、
本形式は完全に通勤輸送用に特化した設計となっている点が異なる。
それもそのはずで、もともとは国鉄のモハ63形となる予定だった車両を戦後の混乱期に割り当てたもので、
同じ理由で東急小田原線(→小田急)1800形(illust/42548831)や、東武6300(→7300)系などが登場している。
これらの会社ではこの63形割当車を契機に車両の大型化を推進したが、南海ではすでに2001形がいたため、
これに当てはまるとは限らないのであった。
さて、この電車は南海電気鉄道(←高野山電気鉄道)が近鉄から南海本線と高野線を譲り受けて事実上分離してから
最初に登場した電車でもある。というのも、奇しくもこの電車の営業開始と同日に近鉄から南海が分離したためで、
そのため前面部分には「羽車」の社紋があたかも戦国武将の兜飾りのごとく堂々と配され、ある種独特のムードをかもし出していた。
当初は難波向きがモハ1501~1510号、和歌山市向きがモハ1511~1520号と呼ばれ、
2001形のクハ2801・2821形や旧電7系のクハ1801形(illust/50303507)などを連結して運用された。
このほか1200形(illust/50329669)と同じ車体で2001形のトレーラーであったクハ2851形も併結相手であった。
1951年には桜木町事故を受けて難燃化改造と貫通路の整備などを実施、さらに1959年からは
モハ1513~1520号を電装解除してクハ1951形クハ1951~1958号とし、取り外したモーターは
モハ1521形(illust/50931131)に転用された。1521形もまた20m超クラスの4ドア車であるが、
これも1501形の影響を受けた結果といえよう。
なお、このときモハ1509~1512号については前面が貫通化された。
もっとも、1501形はもともとが「国電」であるため、南海の中にあってはきわめて異端な存在であり、
大した修繕も廃車間際の1966年まで行われず、しかもそれも全車には及ばないまま1968年までに全廃となった。
由来が由来だけに不遇の人生をたどった電車であるが、その後の南海の大型一般車両が4ドアで製造される
きっかけを作ったという点では大きな足跡を残した。
さらにこの電車が取り付けていた国鉄制式品のモーターであるMT40は、戦後南海の標準モーターとして、
モハ1201形を高出力化したモハ1551形などに使用されたほか、1973年の昇圧時には2051系の1521系化や、
機関車ED5201形の改造に使用されるなど、これまた多大な影響を及ぼしているのである。
余談ながら、入線した当時はまだ近鉄であったため、近鉄にとっても最初の4ドア通勤電車ということになる。
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南海本線
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HD鉄道シリーズ【南海篇】
63系
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2015-06-21 21:30
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