昔観た鳥海
★鳥海山と言えば…。★もう古い時刻表も当時のレグも残っていないので、正確には既述出来ないンですが、1977(昭和52)年当時、新津を昼過ぎに出発する、旧型客車をのんべんだらりと連ねた、羽越線の鈍行がありましてね。★牽引機は忘れましたけど、東新潟のEF81、それとも磐西共通運用のDLだっけか?★途中からは配備されたばかりの、秋田のED75-700に交替したかも知れない。★羽越線だからね、概ね単線、行き違ったり追い越されたりで、列車は至極のんびりと北上して行くのね。★国鉄時代だから尚更さ(笑)。★イラストの通り、ピーカンの夏の真っ盛りの真っ昼間、鳥海山の良く見えるどっかの駅で、特急貨物の追い抜き待ちで、一時間近くお昼寝と相成った。★ドコの駅だったンだろう…今考えると遊佐駅だったのだろうか?★冷房無しの風も無し、只々「暑かった」と言う印象しか残っていない。★幾ら暑くても厨房だったから、ビールで一杯! ちゅうワケには逝かなかった(笑。★客なンて数える程も乗って無い、ノリホはどう書いたのだろうか。★でもね、鳥海だけは鮮やかに聳えたっていたンだ。★後になって、山の好きな人に聞いたらば、鳥海山は晴れの日が少ない、良い想い出ですね、と言われました。★列車はその後もノンビリと、270km余を六時間かけて走破し、夕刻秋田に到着、今では想像も付かン、夢のような時間の無駄遣いを楽しめたのでした。★イラストは90年代のどっかで、属していた同人サークルの会報向けに描いたヤツ。
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2011-04-19 20:25
Comments (14)
塾長>ナルホド、有珠山の噴火もありましたねぇ。後にまた噴火しているし、明治新山も昭和新山も造ってるから、マダマダ若い、元気なヤマなのでしょう。それに比べチキューの命は非常に短い、ハヤタはまだ若い。ウルトラマン、そんなにチキュー人が好きに(ry。
1977年の夏といえば、有珠山が大噴火して火山灰が大雪のごとく降り注いだあのむせるような粉っぽい日々を思い出す。同じ山でもこの時の鳥海山は爽やかでいいですな。お互い歳をとりましたな〜ゲホゲホ。
ボボ様、思い出した…、この時、若い奥様が吊れていた子供が、客車の下に靴を落としてしまって、ビクビクしながら下に潜って、靴を拾ってやったのですが、それが丁度便所の排出管の真下に…(爆、え? 実話ですって!
最近はこの手の列車は無くなりましたね。残念です。 「ありがたや節」は唄いましたか?・・・折角のイイ話が台無し(笑)
檀那>スハ32ちゃぁ同じ頃(笑、磐越西線で乗りやした。鳥海の時はスハフ33だったかな(手ブレーキ廻して遊んでた<オイ。メーテルは新宿>長野夜行の時(ry。
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