三菱 一三式艦上攻撃機
大正10年(1921年)艦上機の国産化に踏み切った海軍は、一〇式艦上戦闘機、一〇式艦上偵察機及び一〇式艦上雷撃機の3機種を三菱に開発させた。しかし、一〇式艦上雷撃機については三葉機だったので全高が高く、狭い空母格納庫内での取り扱いに不便という運用上の問題があったため、少数機の生産で打ち切って後継機を開発することになったのである。
そこで、三菱は一〇式艦上雷撃機を設計した英国人技師スミスの手による改良設計を海軍に提出した。海軍もその設計を認め試作を指示し、完成した機体は大正14年に一三式艦上攻撃機(前年に仮称として命名されていたため「一三式」となっている)として制式採用された。
一〇式艦上雷撃機を複葉に改めた設計で、全高も低くなり雷撃の他に爆撃も可能となっていたほか、艦上偵察機としても使用できることから万能機として海軍将兵に絶大な人気を誇った。
だが、あまりに堅実かつ実用的な機体であったため、当機の後継機開発が逆に難渋してしまい、八九式艦上攻撃機が採用された後も昭和13年頃まで第一線で扱われたのである。
ちなみに日本海軍初の空戦による敵機撃墜は昭和7年2月22日に蘇州上空にて米国人義勇兵の乗ったボーイング218戦闘機を空母「加賀」所属の一三式艦攻と三式艦戦にて撃墜したのが最初といわれている。
そこで、三菱は一〇式艦上雷撃機を設計した英国人技師スミスの手による改良設計を海軍に提出した。海軍もその設計を認め試作を指示し、完成した機体は大正14年に一三式艦上攻撃機(前年に仮称として命名されていたため「一三式」となっている)として制式採用された。
一〇式艦上雷撃機を複葉に改めた設計で、全高も低くなり雷撃の他に爆撃も可能となっていたほか、艦上偵察機としても使用できることから万能機として海軍将兵に絶大な人気を誇った。
だが、あまりに堅実かつ実用的な機体であったため、当機の後継機開発が逆に難渋してしまい、八九式艦上攻撃機が採用された後も昭和13年頃まで第一線で扱われたのである。
ちなみに日本海軍初の空戦による敵機撃墜は昭和7年2月22日に蘇州上空にて米国人義勇兵の乗ったボーイング218戦闘機を空母「加賀」所属の一三式艦攻と三式艦戦にて撃墜したのが最初といわれている。
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2020-07-11 15:42
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