イエアモライエフ YER-2

 1930年代にソビエトの航空機技師イエルモラエフ(イエルモレイエフやイエルモライエフと読む 場合もある。LC翻字表記でも上掲表題のように二種類が存在する)が開発(正確には開発陣に設計主 任として参加)した長距離輸送機Stal-7(Сталь-7)の長距離航続力 が優秀だったため、Stal-7をベースにした長距離爆撃機の開発がイエルモラエフに対して指示された。
 イエルモラエフはStal-7と同様逆ガル式の主翼を持つ機体を設計した。逆ガル翼は双発爆撃機に 採用されることは珍しいが、イエルモラエフは主脚柱を短くし強度を高めるため採用したと思われる。当 時のソビエト爆撃機として標準的なスタイル(細長い円筒形胴体、双垂直尾翼)をしていたものの、目立 つ逆ガル主翼や機体左側に寄せられた操縦席、細長いエンジンカウリングなどにより非常に奇抜なイメー ジを抱かせる機体に仕上がっている(上掲写真のように真横から見ると、そう奇抜な印象は感じないが)。
 当機は1トンの爆弾を搭載して約五千キロもの航続力を発揮でき、当時ソビエトが保有する爆撃機の中 では最も長距離飛行に適した爆撃機だったため、独ソ戦が始まるとソビエト政府は試験中だった当機を即 時採用し量産命令が出された。
 部隊配備された当機は近距離の戦術爆撃からベルリンへの戦略爆撃まで幅広い任務に従事しているが、 搭載エンジンに適当なものが無く(量産命令後も幾つかのエンジンを搭載して試験を繰り返しており、 最終的にACh-30系のディーゼルエンジンがベストマッチであると結論が出た)、また大戦後半に なるとソビエトの戦略爆撃思想が双発機から4発機へシフトしたこと、またソビエト軍の反攻により長 距離を飛行せずともドイツ領内の爆撃が可能になったことなどから、当機に対する当局の感心が薄れ、 320機程度(460機程度という説もある)で生産は修了した。

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2020-09-14 11:46

 rakku666


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